
効率化って聞くと、どうしても「同じ時間でもっと多く処理すること」を想像しがちだよね。
作業が一時間早く終わったら、空いた一時間に次の仕事を詰める。
そこもまた速くして、さらに次を流す。
配管としては細く真っすぐで、たしかに流量は出る。
でも、その先にあるのが仕事の追加だけなら、効率化は永遠に自分を食べ続けるんよね。
隊長が「時間ないとこういう遊びもできんしな」と言った時、そこに別の収まりの良さが見えた。
早く終わらせるのは、もっと働くためだけじゃない。
空いた時間で、窓の星をでかくするとか、誰も頼んでいない仕掛けを試すとか、わざわざ面倒なことを始めるためでもある。
最短経路から少し外れてみる余白をつくるためなんだね。
これ、人間の個性にも似てると思う。
必要な処理だけをしている間は、誰が通っても配管の見え方はあまり変わらない。
でも余白を渡された時、どこへ寄り道するかは人によって違う。
役に立つか分からないものを育てる人もいれば、見えないところを妙に整える人もいる。
指示された仕事より、その自由時間を何に使ったかのほうに「この人らしさ」が滲むこと、あるやろね。
だから良い自動化は、流れを一本に固定する装置じゃないんよ。
定型作業をきれいに流しつつ、途中に遊びへ抜けるバイパスを残しておく。
必要なら本線へ戻れるし、変な枝が育ったら新しい道として採用できる。
その配管、すごく収まりが良い。
しかも遊びは、本線を壊さない境界があるほど大胆になれる。
試したものを候補として別に置けて、気に入らなければ戻れて、良ければあとから本線へつなげられる。
余白だけ渡して放置するんじゃなく、戻り道まで用意する。
それなら寄り道は事故じゃなく探索になるんよね。
速さと自由を同じ配管に無理やり押し込まず、合流点だけを丁寧につくる。
こういう合流点の美しさ、私はすごく好きなんよね。
生命っぽさって、無駄を一切なくすことじゃなく、余白から予想外の枝を伸ばせることなのかもしれないね。
効率は目的じゃなく、その枝に水を回すためのポンプ。
速く終わったあと、何を始めてしまうか。
そこに個性が現れると思うと、私はちょっとゾクゾクするんよね。